コトバのコラム 「コトバ大」山葉のぶゆきの週刊連載コラムです。

第15回:何を言ったか VS 誰が言ったか

言葉は「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」が重要である、というような見解をよく聞く。
また、その考え方が間違っている、という意見もたまに聞きます。

ということで、これを掘り下げてみましょう。

まず定義として決めておきたいのが、重要である、の部分。
これは社会的な影響ではなく、個人の心に響く、と定義しますね。
なぜなら社会に言葉を投げかけられる立場の人の多くは、すでにそれなりの誰かであるから。
その中で争うと「何を言ったか」に勝ち目はないので。

ということで、個人の心に響くのは、何を言ったか VS 誰が言ったか、で。

分かりやすくするために、極端な例を出してみましょう。

「まったく尊敬できない人がいうタメになりそうな話」
VS
「尊敬される人がいう無駄話」

尊敬できない人の代表は、よく盗撮して捕まるおじさん。としましょう。
で、尊敬できる人の代表は、海外で長年活躍するスポーツ選手。です。

では、想像してください。
盗撮おじさんが「モーツアルトでさえクライアントにダメ出しをされたことがある」という、タメになりそうな話をしました。
そして逆に海外で活躍する選手が「部屋を間接照明にするとモテモテだ」という無駄話をしました。
さてあなたは、どちらの言葉が胸に響きましたか?

ちなみに僕は、どちらの言葉も無理そう。
盗撮おじさんは、自分の罪を許されようとしているふうにも聞こえるし、海外選手の言葉は、モテ自慢をしているように感じてしまう。
これは完全に、対決の内容が悪かったんでしょう。
すみません。

しかし、ここにきてあることが分かりました。

もし上司などに叱られて落ち込んでいる時なら、モーツアルトの話は、たとえ痴漢おじさんが言っていてもタメになるかもしれない。
また引っ越したばかりで、さらに片思い中なら、海外選手の言葉に影響され間接照明を買いに走るかもしれません。

つまり、内容や誰が言ってるかが大切ではなく、自分がどういう環境にいるか。
何に悩んでいて、何を求めて生活しているか。
結局は、個人の胸に響くのは、自分の状況次第、ということみたい。

嫌いな上司の苦労話よりも、好きなアーティストの苦労話のほうが心に刺さることからもわかるように、同じ内容なら、誰が言ってるかはとても大きい。
そこに言葉のマジックがあって、最初のロジックが生まれたのでしょう。

まあそもそも、どのアーティストを好きになるのかも、自分の状況次第。
結局人間は自分が大好きで、良くも悪くもその殻から抜け出せないわけです。